炎の剣と翡翠の鱗がぶつかり合った日。君の同胞がまた一人、翼を失ったことを知っていますか? 星詠みが予言し、金色の男が囁いた通りに。君の心の中に種々の花笑みが実ったのを憶えていますか? 竜神さまの断末魔が空を割いてどれくらい経ったか、わたしにはもう分かりません。しかし、君と、その魂が白き翼に慈しまれていたことだけは、忘れようもない真実でした。 黒き女神がいかな頬を濡らそうとも、竜神さまがみまかられた以上ヒトあらざる者に翼を失う以外の選択肢は存在しません。だからこそニアラス〈0〉の忘れ形見が君を救いたまえと願って止まず、わたしは縋るように筆を執っています。 どうして姉貴が、と君は真っ直ぐな瞳で問い掛けるかもしれませんね。あの日、翡翠の鱗に深々と大剣が突き刺さった時、わたしは「星の落日」から一部始終を眺めていました。君の弟が血を流しているのに、わたしは傍観者然と目の前の光景に魅入っていました。君の知らない光景を、つぶさに伝えるため。たったそれだけの為に死闘を繰り広げる、わたしと、君の大切な弟を見殺しにしたのです。 もしも君が目覚めてこの話を耳にした時、姉の所業を知って大層立腹するでしょうか。いいえ、君のことだから案外「仕方ない」やら「生きててくれて良かった」やらと笑い飛ばすのでしょう。 白き花弁が瑠璃に色付く姿を、竜神さまの天翔る空に喩えながら、わたしは金眼ニアラスに託された希望を手記にて紡いでいきます。未来を待ち望む権利などこの身に持ち合わせてはいないけれど、遠い世で目覚める君の為に、ただただ綴ることだけを許されています。 子守唄が途切れる頃、わたしは忘我の川のほとりを歩いています。ぽつりと一本、灰撒く糸杉が形作る天へのきざはしで、主様の愛した花を手繰り寄せつつ。隣には傷だらけになった君の弟がいるでしょう。振り返れば可愛い妹が、金粉を掃いたような瞳で優しく微笑んでいるかもしれません。 でも、まだその時ではないと黒き翼は告げております。竜神さまの角と翼が隔たれ、双牙と鋭爪が大地に埋もれる今は、竜角の男ニアラスの破片をひとつずつ元に戻さなくてはなりません。ともすれば残酷な取り決めに、君は反対するだろうと彼が笑っていたことを敢えて記録しておきます。君はいずれ、角の欠片――わたしたちはこう呼ぶことにしました――異郷なる地で人柱となる者、異邦人と――に相見えるから。 大地に漏れ出てしまった忘れ時の大河は神代の魂を洗い流しています。代わりにヒトは鉤爪を失うでしょう。あるいは牙を、あるいは角と翼を。誇りと呼ぶべき何かを対価に生まれ変わった世界を見て未来の君は驚くでしょう。皆はそれで問題ないのかと。けれど心配は不要です。だって、憶えていないことを嘆くなんて誰にも出来ないのですから。 この先もわたしは筆を執り続けましょう。一人遺された君が寂しくないように。浮橋で出会う異邦人と君が、友と呼び交わす日を夢見て。