公国 繭の衣擦れ
マスケット銃に公国製の短刀、巨大な両手剣や槍を背負うむさ苦しい男達の間から一対の灰目が巻角を射貫いていた。頭髪は亜麻色。束ねて三つ編みにしたそれを後頭部でゆるく纏めたシニヨン頭は女と呼ぶには幼く、少女と呼ぶにはいささか成熟しすぎた精神を宿していた。あどけなさが残る娘はもこの場にいるどんな男よりも強靱な精神と豊富な戦の経験を持っていたように思える。なによりその怜悧さ――神秘的で人間らしさに欠けた鋭利な眼光にイングラムは心奪われた。
彼女を先陣に部隊の面々は一定の歩幅を保って移動していく。しかし誰一人として彼女とそれ以上距離を詰めようとしないのが不思議だった。イングラムがその空漠に違和感を覚えていると少女の部下が新たな任務を携えて現われた。と、その時、彼は相手の眼差しを見て漠然としたものを悟った。この男は彼女を恐れている――。彼だけではない。護衛のように取り囲む男達、否、戦闘部隊の誰も彼もが娘へ関心を寄せている一方で、直接的な繋がりは断ちたいと願っているようだった。
何が彼らをそうさせるのか。彼女に喰い殺されるとでも思っているのだろうか? イングラムが人知れず自問自答するや否や己の中にいる誰かが答えた。
「そうだろうな。少なくとも私は、近い未来、彼女に息の根を止められるはずだ」
現在彼らが陣を張っているのはミアナハ公国首都郊外。この国において女人が戦場に立つことは御法度である。だが少女は人並み外れた剣技と身体能力で――その人が隣国の重要人物であることも多少なり関係あろうが――ギルドの精鋭部隊へ上り詰めた。
イングラムは頭巾を目深に被ったまま遠くを見やる少女のかんばせを真正面から見据えた。隣国ガルタフト連邦国から亡命したコリンナ・ゾイ、獣の中にあって高嶺の花。みなが手を触れることを躊躇うのはやんごとなき血筋だけが理由ではないだろう。けれど冷徹さだけがあの少女の本質ではない。使命のもたらす重みが麗しい娘の溌剌さをひた隠し懲り固めているだけ、それを知るイングラムは「少女の素顔を見ることが出来る男は自分だけなのだろう」と優越感にゆったりと身を任せた。
「そこの男、何用か。この先には何もありませんぞ」
「失礼。そこのお嬢さんと話したいんだ。通して頂けるかな」
「お嬢さん……? もしゾイ隊長。知り合いですか」
「はい。彼の『目』についてはよく存じています」
初めて彼女の声を聞く者は驚くだろう。突き刺すような表情からは想像も出来ぬ意外にも柔らかな声音は男達をあやすようにころころと響いた。精一杯の顰め面で苦情を表現した部下を手で払い、コリンナは淡々とイングラムを招き入れると、使い込まれて身体によく馴染む羽織りを翻して客人へ背を向けた。そして、彼をもてなすでもなく、身の丈ほどもある大剣の手入れを始めるのだ。
「で? どうしてここに」
ずっと探していたのに、と言外に責められる。
「どうして? 私に執心していたのは君ではないの?」
「誰がよ。誤解を招く言い方はやめてちょうだい。でも……ええそう、一部は正解よ。叔父さまが探していたから私も協力していたの。でも、貴方は誰からそれを? ――いいえ口にしなくても分かる。セルジュが漏らしたのでしょう」
ふっくらした口を尖らせて娘は柳眉を逆立てた。するとフード姿の男は慌てて
「可愛い弟子を責めないで。私が無理に君のことを訊きだしたのさ」と大剣の白刃へ映し出された亜麻色に意識を飛ばす。
「しかし時間は限られている。ここにいることが連邦国に漏れては君達だって面白くないだろうしね。だから手短に。『君』は私に何を求めているの?」
なんでもするよ、と口角を上げる。だがイングラムの真摯な申し出に被せられたのは嘲笑だった。
「私があなたに何かを求める? ご冗談でしょう。私は『亡霊』なんかに教えを請わなくたって自分で答えを探せる」
ならば、なぜ彼女は自分を探していたのか。僅かでも自分に興味を持ってくれたのでは、と期待を寄せていたイングラムが憂い顔で無言のうちに問うと少女は軽蔑する心も隠さず片眉を釣り上げて声高にこう続けた。
「『私』は、あなたには何も、望んでいない。うぬぼれないでくれる?」
気丈な瞳がイングラムを見下す。
「探していたのはミハリス叔父さまよ。叔父さまたっての願いじゃなかったら、一体誰が居るか居ないか分からない男〈ひと〉なんて探すものですか」
周囲でそば耳立てていた隊員達は、手ひどく振られた体で呆然としている金目の男を認めると、ざまあ見ろと言わんばかりに下卑な笑みを浮かべて腹を抱えた。国家改革として提案されたこの公国直属傭兵ギルドは、決して愛などというなまなかな代物によって成り立っている訳ではなかったが、娘に対する幾ばくの恋心と、女だてらに隊長格へのしあがったことへの嫉妬心が、見知らぬ者同士で構成された傭兵集団の結束へ一役買っているのは一目瞭然だった。
イングラムは内から虚無感がこみ上がるのを感じた。それから奇妙な笑いと、無関心を突き付けられている男達への微かな憐れみ――その節だ。まさしくうぬぼれとも呼べる考えが脳裏をよぎったのは。
「(彼女は、私のことなら愛してくれるだろうか?)」
男は、コリンナを愛していない。今は、まだ。ただ予感があっただけ。娘の大きな灰目がイングラムの分厚いコートを透かすと、芳醇な香りに満ち満ちた豊かな亜麻色がたくましい男の胸いっぱいへ広がった。なめらかな手を握りでもすればたちまち八つ裂きにされそうな危険な色に触れたくなる。だが、すべてが終わった後、二度と会えなくなると分かっている男を抱き留めてくれる人などこの世界に存在するのだろうか。
湖上を移ろう光彩、水面をかき分けて滑りゆく船舶の警笛が高らかに秋天を貫いた。そろそろ追っ手が来る頃だ。
「そうか……。君に私を知ってもらう良い機会だと思ったんだが。残念だ」
そろそろお暇するよ、と頭巾の上から未完成な巻角に触れると、可愛らしく減らず口を訊いていたコリンナは僅かに狼狽し、
「もう消えてしまうの。分かったわ。それでは……また会いましょう。今度は叔父さまがいらっしゃる時に」
「へえ。三人で、かい。残念だな。次回こそ二人っきりでゆっくり会いたいと思っていた所だったのに」
「貴方のそういう思わせぶりな部分は好きじゃないわ。でも貴方がどうしても『二人っきり』をご所望なら、叔父さまとどうぞ」
それから一寸沈思して、
「……悪いけど。私は、すぐ居なくなる相手はご免よ」
――だって、寂しいじゃない。
イングラムは哀愁染みた頬へ手を伸ばし、しかし撫ぜ損ねる。
「さあ行って。早く。捕まるわよ」
「ああ。コリンナ。また、必ず」
伏し目がちに声を震わせる可憐な横顔としめやかな残り香に後ろ髪を引かれながら男は馬背へ飛び乗った。
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