ネモフィラ渓谷リメイク前 第一章

第五話 王子の悔恨


 静かな夜に燭花が映える。照らし出された人影は頼りなさげに揺らぎ、元気の良い音を放ちながらぱちぱちと焚き火の炎がはぜた。
「熱いから注意しな」
「ありがとう」
 御者は三人分の器にスープを盛り、こぼさぬよう注意しながら手渡していく。シェオールが捕らえた小さな命は鉄鍋の中で煮えたぎり、風に揺れる炎が暖かな空間を提供していた。
 カイザ達は一つの鍋を取り囲みながら各々の取り分を頬張っていく。このスープは男手のみで作られた代物だったが、なかなかの美味であるようだ。共同作業に連帯感を増した彼らは出会った当初より幾分寛いだ態度で互いに接するようになっていた。
「御者さん、このスープ絶品だね」
「だっろー? 剣の腕が良いやつは、料理の腕も良いもんなんだぜ」
「……それちょっと違う」
 ぼそっと呟く人間一名。怪訝な顔で向かいを見遣ると、フードの中に不機嫌そうな顔を見つけた。馬車での会話をまだ引きずっているのだろうか。冗談を言ってみてもちらりとも微笑まない。それゆえ周囲には取っ付き難い印象を与えていた。シザール国王と並ぶ程口数が少ないなど珍しい人間もいるものだ。最も、あの弟以上に不器用な人間などそうそう出くわさないだろうが。
 シェオールの側には常に大剣が置かれていた。用心棒をするくらいだからやっぱり強いのかな、とカイザはまた一口頬張った。
「シェオール君は料理苦手なのかい?」
「昔……少し作ったことがあるだけです」
 料理出来るほど食べ物がなかったから、とあまり興味がなさそうに赤い果物をかじった。御者は波々と液体が入ったビンを置き、赤茶色の瞳で苦々しげに見つめ返す。
「……内乱、か。ボウズくらいの年齢だと、物心付いた時にゃあ既に酷い有様だったんだろうな」
 少年は同情を示すような台詞に肩を竦めた。何を言う訳でもなく、スープを突っ突き始める。鍋を囲みながら語るような楽しい話題ではないのだろう。
 レダン国の内乱――それは長きに渡る主権争い。事の発端はシザール国とクァージ国の侵入だったという。
 かつて国民基盤の民主制だったレダンは多くの国民が一丸となって防衛に徹した。しかし度重なる戦争は人々の心を荒ませ、それまで脈々と培われてきた秩序を無残に破壊していった。
 食料難、酷い衛生状態。そして悲惨な状況に拍車を掛けるような大地震。精神も肉体も疲弊した民衆達はついに周辺国の侵入を許してしまったのだ。当時を知る御者はかつての暁天へ思いを馳せた。
「北も西も、どっからでも敵さんは来るもんさ。他国から侵入されるわ、身内揉めはするわ。内乱なんて、そんな簡単な言葉で言い表せるもんじゃねぇ」
 しかし、そこに一人の英雄が現れた。先帝ロンメル。当時レダン神殿の守人として細々と存在していた王族である。彼は不思議な力を用いて敵をなぎ倒し、周囲に名声を轟かせた。そして市民達が気が付いた時には時既に遅し。その名が国内に知れ渡るほどに王権は強化され、レダン国は一人の皇帝が支配する帝政に移っていたのだ。
 大多数の市民は彼を「英雄」と支持していたと言う。だが今まで主権を握っていたのは市民なのだ。一度手に入れてしまったものは二度と手放せない。反感を持つ市民達の一部は「奪われた」権利を取り戻そうと組織化し始めた。そして帝政開始より数年後、ついに大クーデターが勃発。これが俗に言う『インフェルヌムのクーデター』である。
 カイザは無表情な少年を一瞥した。二十年以上前の昔話。それを思い出し、何故だか酷く申し訳なくなった。確かに領土争いなんてものは遥か昔から行われていること。しかしだからこそ他国、とりわけ弱小国にも気を配る必要があるのだ。
 遠くから聞こえる獣の遠吠えが罪もない市民の悲鳴に聞こえた。これが錯覚だと分かっている。しかし父親の業を引き継ぐ彼は「自分は責められて当然だ」と思ったのだ。

 *

 食事が終わるとシェオールは剣の手入れ、カイザは地図で下調べと各自の仕事に熱中し始めた。真夜中と呼ぶにはまだ浅い。にも関わらず、流れる沈黙は深夜の様を呈していた。ただ一人。御者だけが陽気に鼻歌を歌い、馬のたてがみを撫でている。
「あ〜あ、良い月夜だ。こんな夜は酒でも飲んでゆっくりしてぇもんだ」
「……そんなこと言って、本当に賊が来たらどうするんですか」
「なあに、問題ねぇって。あいつらは大抵雨の日に動く。よほどのことがない限り今夜みてぇな月夜にゃ襲ってこねぇさ」
「……そこまで言うなら構いませんけど」
 シェオールは棘のある口調で肩を竦めた。落ち着きある口調で言われると、馬鹿にできない気になるから不思議だ。カイザはついつい腰の剣を確かめた。
「でも、用心しておくに越したことはないんじゃないかな」
 だから飲みすぎないでね、と諭すと、五十過ぎの男は残念そうに嘆息した。
 ――ほら見ろ。シェオールはそんな表情で鼻を鳴らし、横から地図を覗き込む。茶焦げた羊皮紙には湖付近の地形、それから備考なんかが書き込まれていた。下調べをしていた証拠だ。少年が意外そうに「へぇ」と呟くと、カイザは恥ずかしそうに苦笑いを浮かべた。
「関所前で情報収集はしてたんだけど、賊の話は一度も出て来なかったんだよね」
「はっ。口に出すのも恐ろしいってやつじゃねーのか? あの辺は商人が多いからなぁ」
「……ああ、そうかもしれません」
 御者の言い分に珍しくシェオールも賛同。そして再びフードの奥に引っ込むと、手入れに没頭し始めた。御者によるとこの辺りに住う盗賊には二大勢力があった。一つは目立ちたがり屋気質で主に商人ばかりを狙う残虐な集団。シェオールが言う「賊」もこちらを指している。もう片方は一切が謎の集団。裏で国王やギルドと繋がっていると言う噂も絶えず、そのあやふやさが民衆の恐怖を逆に掻き立てていた。
 カイザは情報を頭の中に記録しながら疑問を口にした。
「ねぇ、ギルドって傭兵をやとうアレ?」
「ええ、そうです」
 いつの間にかシェオールが手を止めてこちらを見ていた。手入れ途中の大剣を鞘から引き抜き、月光に照らす。抜き身の白刃に蒼白い光と焚火の橙色が混ざり合って絶妙な色彩を作り出していた。シェオールが軽く腕を振うと、風を切る鋭い音が響く。
「ギルドには商人、民衆、国王から色んな依頼が来るんです。ボスがそれを相当の実力者に割当て、任務完了したらお金が入る仕組み」
 俺もギルドに属してる人間ですよ、と淡々と説明し、鏡のような剣の表面を撫でた。
「クァージって、面白い制度があるよね」
「ま、傭兵制になったのはここ数年だがな」
 男はビンをあおり、零れた雫を振り払った。
 この時代、何処の国でも戦争は共通の出来事だった。クァージにギルドが成立したのも一重に侵略戦争が原因だと言えよう。戦争とは国同士の戦いである。したがって大量の人手が必要だ。だが多くの男手を注ぎ込んだ結果、人口が激減した。なにせ商人や国王を守る仕事を受け持っていた凄腕も、一度戦場に赴けば帰らぬ人である。加えて国内が戦場となれば夫の帰りを待つ女子供の命も露と消えてしまうだろう。そのせいで管理する人間のいない無法地帯が増え続け、商人や国王は困り果ててしまった。理由は簡単。国家の税、上層部の収入源が消えていくことに他ならないからだ。
「人がいなければ、農作物は育たないでしょう」
 となれば必然的に饑餓が起こる。そうすれば更に人口が減るのは目に見えており、土地税を含む国家の歳入が減少することに繋がっていくだろう。つまり幾ら国王が自らの優越性を主張せども、民によって国が成立っている事実は揺らがない。
「クァージは戦時中、財政難に陥りました。人口激減、自然災害……そして、王家断絶の危機。一歩間違えれば、レダン国の二の舞になりかねなかった」
 俺はその頃いなかったから詳しくは知らないけど、とシェオール。すると御者はカイザを指差し、嫌味ったらしい口調で付け加えた。
「つまりはだ、兄ちゃん。あんたらシザールの人間がぬくぬくしてる間に近隣のクァージじゃ、ベネディクス王家や国家存続に関わる重大な問題が起きてたんだよ」
 だがそれらは「内乱」と言う統治者ないし市民達が最も敬遠すべき結末だった。ゆえに彼らはこの危機を乗り越えるために昼夜問わず頭をひねった。そしてついに傭兵ギルドが新たな政策として考案されたと言う訳だ。
「ま、元々クァージは外国人の労働者が多かったからな。金さえ払えば、喜んで他国の国王を守るだろうよ」
 この案は民衆の支持も得て今や国の要となっている。領土争奪戦に惨敗して以後は戦からも手を引き、国内の立て直しに全力を注いでいるのだ。
 一方、カイザの故郷シザールもかつて戦争に明け暮れていた頃があった。しかし他国と違うのは、一番の戦勝国だったと言うこと。したがって人手不足はやはり否めないものの、新たな領土より人員を動員して欠如を補うことが出来た。
 双方の分かれ道は、「勝利」か「敗北」かにあった訳だ。
 カイザは周辺国の実情を知れば知るほど「自分は罪深い人間だ」と言う思いにとらわれた。弱肉強食。勿論、世界の道理は理解しているつもりだ。だが実際にその世界を目の当たりにすると、複雑な心境にならざる得ないのだった。彼の葛藤に気付いてか否か定かではないが、シェオールは仏頂面で説明を続けた。
「……ギルドも、中で色々分かれてます。例えば俺みたいなのは、戦い専門の『狼』の称号が貰える。でも知識人や頭が良い人間は『梟〈ふくろう〉』の称号が与えられます」
「だから良いチームってのは、狼と梟がバランスよくいるもんなんだぜ」
 相変わらず抑揚のない口調で言い終えると、御者が補足した。案外息が合っている。だがシェオールは相手に冷たい視線をくれると、じとりと睨み付けた。
 少年は懐をまさぐり、カイザへ向かって銀色の何かを放つ。カイザは慌てて受け取った。それは猛き狼の刺繍だった。特殊な糸で縫われているのだろうか。模様自体が光を放っているように見える。すると御者がぴゅうと軽く口笛を吹いた。
「すげえなぁ、銀の狼か。こりゃあ良い用心棒になるぜ」
 不思議そうな顔をしたカイザを認めると、おどけたように肩を竦める。
「――ああ、そっか。あんたは余所もんだったな。この刺繍は銀色だろう? ギルドの中は腕っ節の順に階級分けされてるが、銀は上から三番目なんだ」
 相当な手練じゃなけりゃ貰えねぇ色さ、と。二人が感嘆した表情で少年を見遣ると、彼は「褒めても何も出ないです」とそっぽを向く。意外だ。照れ屋なのか。カイザは新しい発見に微かな笑みを零した。
「しかし、そんなに強いボウズが湖に何の用なんだ?」
「……ギルドの仕事。賊討伐の」
 昨日勅令が出たのは知っているでしょう、と少年は言いにくそうに顔をしかめた。本来部外者に言うべきことではない。しかし相乗りさせて貰っている時点で既に彼らを巻き込んでいるも同然。隠すのは得策でないと判断したのだ。するとカイザは息を飲み、少年へ詰め寄った。
「賊討伐だって? 幾ら何でも君一人じゃ危ないって!」
 弟が心配性ならば、兄も例に漏れず。カイザは保護者さながら危険性を説き始めた。最も、残念ながら相手は総無視である。否、そればかりか両耳を塞ぐと「うるさいです」と声を遮断する始末。これには流石のカイザも呆れてしまった。彼は軽く溜息を吐くと「心配しているのに」と座り直した。
 その刹那。奇妙な悪寒が全身を駆け巡った。誰かに見られているような不気味な感覚。肌が泡立ち、頭の芯が冷えていく。ついに敵が来たのかと勢いよく立ち上がって辺りを見回した。だが、瞳に映るものは滑らかな闇だけ。旅の仲間から不思議そうな視線を送られ、すごすごと腰を降ろした。
「どうしたんですか」
「ううん……なんにも」
 他の二人は何も気が付いていないらしい。ならばカイザの気のせいだったのか。しかしカイザの心臓は未だ大きく鼓動していた。
 御者はくくと喉を鳴らし、愉快極まりない様子で笑い声を上げた。
「ははっ、賊でもいたか?」
「いや、違ったみたいだ」
 お前さんは神経を尖らせすぎなんだ、と指摘され、誤魔化すように被りを振った。――最もカイザからすれば、すでにかなり酔いが回っている御者は無用心すぎると思うのだが。
「それに比べて、シェオール君はさすがだよ」
「何がです」
 唐突に話題を振られ、少年は面を上げた。だってね、と曖昧に肩を竦める。理由を話したとて、素直に喜んではくれない気がしたのだ。だがカイザは、少年の中庸を心得た落ち着ち払った態度に感心していた。しかしそれは内乱のさなか――不本意の内に身に付けざる得なかった態度なのだろう。
「僕なんて苦労してないほうなんだろうな」
「……さっきから何の話をしてるんですか」
「戦争が終わって良かった、って話さ」
「ああ、そりゃ俺も同感だ」
 ほろ酔い気分の御者も賛同の意を示す。あれだけ注意したにも関わらず、彼はたっぷり酒気を帯びていた。「兼、護衛」だったはずだが、到底その役割を果たせそうにない。
 男は上機嫌に酒瓶を持ち上げた。
「ああ、そういえばなぁ、ボウズ。銀色の狼で一個思い出した」
 木にもたれ掛かったまま、口の中で何事かを呟き始めた。
「銀色の狼にゃ強ーい相棒がいるって話を聞いたことがあるぜぇ。奇妙な技を使うって言う――裏じゃ有名な噂だ」
 這うように少年へ顔を寄せ、酒臭い息を吐く。それからまた浴びるように酒をあおる。
「ちょっと御者さん。本当に賊が来たらどうするつもりだい?」
「なぁに、大丈夫さ。俺は強いからなぁ〜」
「そう言ってる人間ほど殺られるものですよね」
 痛烈な皮肉が御者に届いたかどうかは定かではない。男の瞳から光が消えた。と思う間もなく、御者は眠りについてしまったのだ。カイザはいびきを掻き始めた案内人を眺め下ろし、寝袋を掛けてやった。そして幸先悪い出来事に深々と歎息を漏らした。
「あなたも休んでください。見張りは俺がします」
 すると、シェオールから気遣うような台詞を掛けられる。でも君も疲れているでしょうと尋ねると、用心棒だから気にしないでとやんわり返された。この分だとシェオールは譲るまい。疲れていたカイザはお言葉に甘えることにし、毛布を身体に掛けた。襲い来る睡魔と戦いながら薄膜を隔てた世界に身を委ねる。そして闇の世界へ完全に埋もれてしまう寸前、やおら瞼を開いた。そこに黒髪の見知らぬ女性がいた。端正な横顔を見てふとシェオールを思い浮かべる。
「ああ、綺麗な人だな」
なんて他愛ないことを考えながら、穏やかな眠りへと落ちていった。

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