ルアハの花

序章 竜頭戦争

第三話 異邦人


 見つけたと喜んだのもつかの間、これは世界を形作る普遍などではなかったと判明する。我々はその喜びと落胆を繰り返し、求めるものがどんどん遠ざかっていくことにも気付かぬまま、盲いた目で彷徨い歩く。
『異邦人の記録 紅き神都にて 第一巻』

*

 知恵を得るほど望む物から遠ざかる。知らなければそれが世界のすべてだと信じて生きて行けたろうに――流れゆく営みの中、関知出来る世界が拡大するほど不変と謳われる真理も絶えず変貌していくのだとミハリスは一人先んじて理解していた。
 防腐処理をされてなお虫喰いまばらな羊皮紙を一枚捲れば、若くして命を奪われた青年の嘆きが蕩々と連なっている。一行一行、丁寧に読み上げるにつれ、彼は生まれた時から共に在る友人と語らうような深い共感を覚えた。
 その答えはミハリス自身にある。国是に背を向けてまで大陸中を巡った彼もまた、旅の間に得たものと言えば「探求者などという存在は、常に同じ悲劇を反復し、再現し、ついぞ疲れ果てて眠る」ということだけだったからだ。
「はあっ! ……次!」
 雲居高き碧天に姪の威声が通った。西方オルドーグ帝国や〈竜の背〉ソラス・ナ山脈以東は氷の息吹に覆われて久しいが、海流と地下熱により年中暖かい公国ではついぞ秋の立ち去る気配はない。宰相殿がコリンナの暴れっぷりに不平を漏らしていたのは昨日のことだったように思えれど、あれから半年以上は経っていた。
 先の取引後、ミハリスは既に大枠が出来ていた草案を整え、国家元首である大公の後押しを受けつつ傭兵ギルド試験運行にまでこぎつけた。かくて宰相殿から見事に報賞を勝ち取り、麗らかな小春日和の下、嗚咽が混じる訓練風景を眺めつ黄ばんだ紙面へ目を通している訳だ。
「だらしないわね。こんな生半可な打ち合いじゃ連邦国と渡り合えないわよ」
「うるっさいなー。なんでもかんでもあの化け物〈牙使い〉相手と仮定して戦ってたら、身体がいくつあっても足りないっつーの」
「へー? でもバルド、あなた私より階級上よね」
「お前のように馬鹿力だけでのし上がってきた奴とちげーの。己はきちんと他の能力も認められて副官に選ばれたんで、叔父様って単語しか脳みそに詰まってないお前なんかじゃ、絶っっっ対に出来ない頭脳労働や纏め役も任されてんだよ!」
 ――子供か。
 聞き耳たてるミハリスは程度の低い口論に嘆息した。しかし悪態の応酬は止むことなく。コリンナはいかり肩の男を尚も鼻で嗤った。
「負け犬の遠吠え?」
「てっめ! ガキの癖に!」
「ガキが何よ。だったらかかって来なさいよ、ほうら!」
 貴族を悩ませていた少女は組織内でも頭一つ飛び抜けた戦闘員となり、上司の寵愛を受けていた。鍛え上げられた同僚を一蹴し、言い負かすありさまは、とうてい齢十四に届いたばかりの乙女とは思えない。
 再び這いつくばった男をコリンナは端然と見下ろし、満面の笑顔で大振りの獲物を収めた。バルドと言う男、仮にもギルド長官の副官である。上官相手に好き放題暴れる姪の姿を見るにつけ、根本的な部分の改善は出来ていないのだろうと苦虫を噛み潰した。
「バルド君、私の姪がすまないね」
「はっ……これはミハリス殿下! 御前お汚しして失礼致しました!」
 傭兵ギルド長官の副官を労わるや、思い掛けない叔父の登場にコリンナも面を輝かせた。
「叔父さま、いらしてたのですか!」
 豊かな亜麻色が男を包む。あれだけ勇敢に強者達を相手していたのに、頬を上気させて小走りに近づいてくる姿は無邪気な少女そのものだった。
「頑張り屋さんの顔を見たくなってね。聞いているよ、依頼を次々こなしていると。組織の評判は上々だ」
「叔父さまが作られた制度だもの。全力で取り組むわ」
 正式発足する前に無理難題を押し付けて汚名を着せ、宰相と大公の下した決定を覆そうという薄暗い力が未だに働いていた。すると姪も負けじと奮起し、僅かでも諦めたほうが退かされる――そんな水面下の根比べが続いていた。
 父親譲りの負けん気にミハリスは苦笑を漏らし、汗一つかいていない姪の背へ手を回して共に鍛錬場を後にした。と、娘はすぐさま脇に抱えている本に意識を傾けた。
「初めて拝見しますね、その本。随分古いですけど宰相殿から頂いたのですか」
「うん。七番目の異邦人が書いた写しだ。お前が頑張ってくれたお陰だよ」
「異邦人とは?」
「歴史の節目に現れる、金眼の異形のことだ」
 コリンナはしばし沈思して花顔を曇らせた。
「金色の目って、私の母のような人のことですか?」
「いいや。彼らより遥かに強い力を持つ。能力は様々らしいが、未来視をする者、死者を視る者、過去を視る者……視ることに長けた金眼の異形をそう呼ぶんだ」
 それでも納得いかないと言った面持ちで姪は疑問を呈す。
「異形が本を書くのですか?」
「おや。彼らが元は人間だと言うことを忘れてはならないよ。だから本を執筆するなど訳ないだろう」
「へええ……」
 予想した通り、公国当局が功労者に賜ったのはルチア公爵家が保管する貴重な歴史資料だった。叔父の側に居ることこそ至上の幸せと見做す少女は腰に抱きついたまま目敏く題目へ視線を滑らせて、
「一つは直近の公国史実録、二冊目はミアナハ神国の歴史書。……神国と言えば、公国以前にあった巨大国家ですね。資料庫もろとも焼け落ちたと聞いていたけど、一部は残っていたのですね。何が書かれているのです?」
「お前の興味を引く内容は少ないよ」
  男は慎重に言葉を選び「ただ、この国から失われたものが幾つかあると分かった」と当惑の眉を顰めた。表立って口にしたくないのか、周囲の目を憚る様子にコリンナは逡巡した。
 湖に浮かぶ島を削って作られたミアナハ湖城――大陸一美しい斜陽が残暑の熱気を以て烈火のごとく二人を照らし、上背ある痩身の影と、ふくよかに発達した少女の影を追い掛ける。
 彼らが内扉を潜ると足音に合わせて丈長き闇が大手を振った。白亜の天井には水面をたゆたう幾条の閃きが複雑な文様を描き耽美主義者を唸らせた。廊下を進めば時折、召使いや貴族とすれ違うのだが、彼らは一様に亡命者へ手厳しい目を向けた。
 叔父はつと少女の部屋で足を止め、藪から棒に「ギルドではフラーラ辺境伯の目に留まったようだね。彼は良くしてくれているかい」と尋ねた。
「はい。私の戦い方を褒めくださいます。精進を重ねればもっと高い立場へ取り上げてくださるとも」
「そうか。では少々困ったことになりそうだね」
 コリンナはそのまま立ち去ろうとする叔父を引き留め室内へ招き入れた。それから「何がお困りなのですか」と歯痒そうに問い掛けた。
「宰相殿に、姪を潜らせ内部を探っていると勘繰られそうじゃないか」
「またその話ですか。有りもせぬことばかり疑われるのは亡命者の特権でしょうか。でも――ことこの状況に限っては叔父さまの意に沿った事態なのではありませんか?」
 茶菓子をほうばりながらこともなげに言い放ち軽快な首の動作で振り向いたのは少女だった。「竜返り」などと大仰な異名に恥じぬ力を持った彼女は色を失っている叔父を仰ぎ、分かっているわよ、とさも言いたげに微笑んだ。
「ね。叔父さまが宰相殿とお約束した話って、こういう内容でしたね。姪を幹部にしろなどと高望みはしない。でも結果に見合う正当な報酬はよこせ。叔父さまが私に関わるのは入った直後だけで、後は本人の努力次第、その能力を今後どう扱うかは配属された『上官の判断』に一任する、と」
 姪が柔らかく笑み零す。
「報酬のことは、私を真摯に考えてくださった結果だって分かっております。私は叔父さまに助けて頂いてばかりですね。だからこそ、これからお話すること、怒らないって約束して頂きたいの」
「……いいだろう。可愛い姪のお願いだ、約束しよう」
「ありがとうございます。叔父様、大好きですわ」
 おもむろにコリンナの目が鋭く光り、ミハリスは身を固くした。
「あのね叔父さま、ギルドに配属されてから、ずっと変だなと感じていたんです」
「そう。どこらへんが納得出来ないのか教えてくれるかい」
 直ぐに落ち着きを取り戻したミハリスは煙管を取り出し細長い息をほう、とくゆらせる。
「言い当てないといつまでも隠す気なんですか――その煙管、共和国で?――まあいいでしょう。こういうお話です」
 彼女は耳をそば立て、ティーテーブルの下へ入念に防音の魔導書を設置してから次のような憶測をつらつらと述べ始めた。
「お偉い貴族さま達は、しっかり見張っておけば他国の小娘を内部事情に通ずる立場から遠ざけておけると信じていたのよね。もちろん私個人もこの国の政治事情には微塵も興味ありませんから、どんな上官が来たって不平不満を言うつもりはありませんでした。私を私として認めて貰えれば、ね。でも蓋を開けてみればどうです? 上官には誠実を絵に描いたようなフラーラ辺境伯が就任したわ。もちろんかのアルノルド・フラーラ辺境伯は大公殿下の異母兄ですから、一層の忠誠心が求められる国家直属軍事組織のトップとして彼ほど適任な人は見つからないと思います」
 でも、と恩人である叔父へ探るような目を向ける。
「辺境伯の純真な人となりに当てられた人間は口答えしようなんて思えなくなる。そう、大公殿下は、立場は上でもフラーラ卿に逆らえないんです。そしてそんなアルノルド・フラーラ卿には、私が数ヶ月共に過ごして観察したところ少々困った癖があるわ」
「うん……公国には珍しい根っからの能力主義者だ」
 辺境伯は最前線で戦ってきた経験からか、才ある者を片っ端から昇進させ側に置くことを好んだ。それは公国の文化と相反する性格に思えるが、しかし長年国防を担ってきた実績があること、大公へ深い忠誠を誓う者であること、そして戦争の最前線で行われた人事など首都で神に守られぬくぬく暮らす貴族にはなんら関係もないことを鑑みて上層部はこれまで口出しして来なかった。もしくは戦いを遠ざけたい者らが、辺境伯の部下は前線で生き、戦乱に命を落とせばいいと考えていたのも一つの要因かもしれない。
「私の能力を知る人なら、彼が組織の頭目になればその働きに目を留めるだろうと予想出来たはず。おそらく宰相閣下あたりは人事を考え直すよう大公殿下へ物申したんじゃないかしら。でも伯爵は一旦『やる』と言い出したら頑固です」
 ――だけど、分からないの。
 生まれてこのかた健康だった日など存在しない、うらなり顔の中年男へ彼女は耳目を寄せた。
「叔父さま達が急ピッチで草案を作っていた頃、ソラス・ナ山脈の麓、遠い北東の前線地にいたフラーラ卿がどうやってギルド建設の話を知ったのでしょう?」
 面倒な人事をされたくないから貴族達は組織について隠していたはずだ、と彼女はつついた。
「はは。面白い話だ」
 コリンナは叔父が考えていたよりずっと野性的直感に優れた子だった。叔父は煙管の火を揉み消してから制御の効かぬ淡い巻き毛を掻き上げた。
 何も言うことはない。すべては姪の指摘通り。宰相との密約がどうだろうと、辺境伯が一声あげれば役職に関する約束など簡単に反故にしてコリンナは幹部に入れる。そして幹部に入れば、帝国との盟軍協定に即した「ある特権」が得られるのだ。
 そこに某かの意図を感じたとしても――フラーラ卿へ誰が囁き掛けたにしろ――長官任を請け持ちたいと最初に進言したのは辺境伯自身なのだから、外野は濁った水を飲み込むだけで何も言えまい。蓋し心寄せる義兄の願いを叶えてやりたいと望んだ大公殿下の決断に誰が逆らえよう。
「(人間は長年共にいると思考が似か寄ると言うが……)」
 悟られたのはミハリスの落ち度ではない。コリンナとミハリスが共に過ごしたのは僅か一年半だが、その僅かな期間に、穴の開くほど少女が敬愛する相手を観察した成果なのだ。
 会話している間に沸騰した湯を姪が慣れた手つきでティーカップへ注ぎこんだ。沈黙を守る叔父を他所に綺麗な三つ編みを解く少女。色は父親譲り、繊細さは僅かに母親のそれである。顔立ちは見れば見るほど父親に良く似ていた。細面なのに薔薇色の頬がふっくらとし、顎に掛けてきゅ、と柔らかな線の輪郭が引き絞られている辺りなど父方祖父を彷彿させる。それゆえ政権転覆後に投獄されてしまったが、彼女の罪は血のみだと親しい者は知っている。
 刻んだ香辛料の芳香がミハリスの鼻腔まで辿り着けば、観念せざる得ない事態になったと理解する。白歯で手袋をそっと取り外すと、姪の側へ屈み込み豆だらけの手を握った。
「すまない。利用するような真似をしたことは事実だ。私には否定する権利などない」
「謝らないで。叔父さまのために出来ることなら何だって嬉しいんです。だからこそ、何でも話して欲しいと思っております」
 長い睫毛に象られた、こぼれ落ちそうなほど大きな瞳の奥を覗けど疑念の揺らぎは少しも見当たらない。彼女にとっての悲しみは、利用されることではない。心を打ち明けてもらえないことなのだ。しかし手放しの信頼はミハリスがひた隠しにしてきた何かを傷付けた。
「叔父さまはただご自分の望みを教えてくれれば良いの。で、私はこれから何をすればいいのです。幹部になるだけですか?」
「いいや。それは単なる通過点だ」
 姪が意外にも賢しいと知っていればこれほど傍へ置かなかったのに。当人が聞いたら卒倒しそうなことを考えながらミハリスは柳眉を寄せた。
「白状しよう。お前に盟軍資格を取って欲しい」
「盟軍って……帝公同盟のことですよね。渡航特権を持つ、あの?」
「ああ。帝国と公国間の自由渡航特権で有名だったね。私の目的もまさしくそれだ。知っていようが我らが大公は、ギルド創設時、傭兵幹部にその資格を与える法律を追設した。つまりお前が幹部に昇格すれば……」
 その法令を追設するよう進言したのは他ならぬミハリスだったが、むろん大公以外は知らぬこと。姪は腑に落ちぬ面持ちで、
「私が叔父さまの手足となって各地を回る。そういうことですね」と貌を曇らせた。
 ミハリスは姪を連れ去るよりずっと前から考えていた。亡命者という肩書きは保護という大きな後ろ盾を得る。と同時に、やることなすこと当局に知れてしまう。大公にとってミハリスは大事な情報源だからだ。二人を狙う刺客に備えて常に護衛を配備されているが、それらは亡命者に嵌められた枷でもあった。
「でも、叔父さまご本人がギルド幹部として活動なされたほうが早いのではありませんか。なぜわざわざ立場の弱い私を使うのです」
「ははは。私は無理だよ、監視されている。大公殿はこれからも私から目を逸らすつもりはないだろうね。しかしお前なら、実力でのし上がったギルド幹部として振る舞い、確かな後ろ盾を得て自由に動き回れる。お前は私と違って竜語を操る訳でなく、古代の知識も、魔術も使えない。公国にとってのお前は『第三王子の人質』以外に価値がないんだ。いや、その価値さえないかもしれないね」
「はっきりそう言われると少し傷つくのですが……」
「だが真実だ」
「分かっています。私は連邦国の極秘情報も知りませんし、地位を確立しなければ亡命者としても危うい立場である自覚はあります。そして、だからこそギルドで地盤を固められるよう機会をくださった叔父さまのお役には立ちたいと思っております……が……」
 盟軍とて出入りが許可されている地域は多少限られている。それでも、全く身動きの取れない現状より見込みがある。すると愛すべき長兄の娘は握られた掌に力を込めた。
「昔から叔父さまは何かを調べて各地を転々と旅されていたと伺っております。ですから誰かを派遣して研究を続けたいというお気持ちも理解はできます。でも……だけど……」
 私はあなたの代わりになれません。コリンナはきっぱりと首を振った。どこに行っても喧嘩してしまう。そんな自分が一人で旅なんて出来るはずもなく、ましてや大公名代にも等しい盟軍など過大評価だと少女は俯いた。
 先ほどまでの威勢はどこに、打ち明け話をされた彼女は酷く狼狽している。さりとてこの動揺は、身に余る使命を託された恐怖へ起因するものではないと痩身の男は見抜いていた。コリンナはこの一年間最も恐れていた「叔父の側を離れる」という事実を本人の口から聞かされたことで親鳥から引き離される雛のように震えていたのだ。
 恐れを察したミハリスは敢えてそこには触れず、人心地つくよう説いて柔らかな前髪を払った。
「気後れする要素はどこにもないよ。お前の父親は誰だい。あの名君リガス王太子だろう?」
 私の愛する姪でもある、と添えることを忘れない。優しく顎を掬うと潤みある瞳に可愛い仔狼を騙してかぶり付かんとする青白い毒蛇が映りこんでいた。
「あなた方は特別です。それに私は父上が無くなって以来、連邦国ではまともな教育を受けておりません……血筋を引いているという事実以外、あなた方に並び立つ要素はありません」
 まさかこの子は本気で亡国の思想教育を受けたかったなんて考えている訳ではないだろう。ミハリスは血の気が引く思いがして、
「たまさか滅びを助長する教育を受けられなかったからと落胆する必要がどこにある。コリンナ、大事なのは血筋だ。君が父親から受け継いだ、ね」
 ミハリスが求めて止まないもの。父や祖国を見捨ててまで探し回ってきたもの。彼は気が急き、我を忘れて恍惚としている自分を認めるとばつが悪そうに息衝いた。
 お前だからこそ出来るんだ。自信をもって約束しよう。それとも私のことを信じられないのかい?
 信頼しきった子供の闇を突き篭絡する姿はさながら詐欺師である。やがて、恩人の高説に耳を傾け不安に苛まれていた少女は、言葉尽くしに花を愛でる叔父の姿を真正面から見据え、御手柔らかに包まれた拳へやや力を込めた。
「そう、ですね……。忘れていました。私にとっては重要なことは、叔父さまに救われたこと、その一点だけ。どんな理由で私が選ばれ、救われたかは関係ないのです」
 祖国に咲き誇る瑠璃花の芳香へと心を寄せる少女。なぜ自分はここに在るか、それを思い出した彼女は決意を固めたようだった。
「わかりました。お役に立てるなら喜んでご協力いたします」
「嬉しいよ。コリンナ」
 小さくてまあるい頭を撫でてやる。初めて出会った時の彼女は薄汚れて、髪の毛もごわごわに絡み合っていた。重罪犯と同じ区画に投げ込まれても泥の下に隠れた白いかんばせは希望を失わず、鬱々とする囚人に混じって異様なほど輝いていたのをよくよく覚えている。そのコリンナも公国へ落ち延びて人並みに生きることを許され、身ぎれいな恰好で叔父と並び座るのだ。
 白磁人形のような少女は、いずれギルドも戦争へ駆り出されるでしょうかと固い面持ちで尋ねた。国軍の代わりとして作るのだから当然だ。そう肯うミハリスの隣で彼女は見るからに落ち着きを失った。
 無理もないだろう。並外れた剣戟能力を持っていようと、中身は未だ戦場に立ったことのない生娘なのだ。しかし保護者の予想に反してコリンナは、実は今までずっと楽しみにしていたことがあるのだ、と鬱蒼と笑った。
「でしたら戦場で伯母様にお会い出来るかもしれませんね。……あのね叔父さま。私ね、監獄に閉じ込められていた頃に、どうしてもやりたいことが出来たんです。それは――あの女王の首を、この手で斬り落とすこと」
 斬首に強い執着を見せるのは、同じ方法で殺された父への想いゆえか。心は未だ純真と信じて止まなかった姪の新たな一面を知った叔父は、唐突に襲いかかる仄暗い虚無感に足を掬われた。蒼白な頬へ落とされた愛の口付けには、あるはずのぬくもりが失われている。
 なぜ忘れていた? 生への活力が常に輝かしい希望とは限らないと。形なく溶ける「幸福」などと言う融解物は、どれほど与えられても白き繭に包まれ忘却されるが、怒り・憎しみ・悲しみはたったひと雫で何十倍もの密度を持ち頑健な石へ穴を穿つ。そしてそれは、想像し得ない原動力を産み出すこともあるのだと、彼は知っていたではないか。
「……っ」
 亜麻色の少女に冷酷な女王の影が重なる。淡い不安へ共鳴するかのよう高らかに黄昏を染めるは獣の咆哮だった。
 鳴り響く声に応えて脈動する左目の中、男はいつまでも膝を付いていた。